大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)7912号 判決 1971年4月30日
原告
呉允河
被告
若槻富治
ほか二名
主文
一、被告若槻富治、同若槻重治は各自原告に対し金八八九、七八〇円および内金七八九、七八〇円に対する昭和四四年七月一四日から、内金一〇万円に対する本判決言渡日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告の被告若槻らに対するその余の請求、および被告吉岡進に対する請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は原告と被告吉岡との間に生じたものは原告の負担とし、原告と被告若槻らとの間に生じたものはこれを四分してその三を原告の、その余を被告若槻らの負担とする。
四、この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告
被告三名は各自原告に対し、金四、一八〇、六七八円およびこれに対する昭和四四年七月一四日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告ら
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二、当事者の主張
一、原告、請求原因
(一) 本件事故の発生
日時 昭和四二年一一月二〇日午前〇時四〇分ごろ
場所 大阪市生野区林寺町四丁目五番地先路上
事故車 普通貨物自動車(大阪四み二六九四号)
運転者 被告富治
態様 原告が歩行中、進行してきた事故車が衝突してきた。
原告の受傷 左脛骨踝骨折、左腓骨々折、頭部外傷Ⅰ型、現在なおメニエール症候群(不全型)兼左座骨神経痛がある。
(二) 帰責事由
1 被告富治は前方不注視の過失により右事故を惹起した。
(民法七〇九条)
2 被告重治、被告吉岡はいずれも事故車を保有して、これを自己のために運行に供していたものである。(自賠法三条)
(三) 損害
(治療経過、症状)
原告は左記のとおり治療をうけた。
42・11・20~43・8・10 新大阪病院
43・8・11~現在 目彊館診療所
右足関節に著明な運動制限を残して症状固定したが、その後メニエール症候群等で治療をうけ、走行時、体動時に目まい、耳鳴りがあり、そのうえ左臀部、大腿屈側から下腿にかけて持続的鈍痛があり左足関節が十分に動かない。そのため夜間不眠の状況にある。
1 治療費残 三万円
これは治療費五三万円のうち自賠責保険金五〇万円をもつて支払つた残額。
2 休業損 五五五、九三二円
原告の職業 大阪市生野区福山製作所勤務
事故前三か月間の収入 42・8 三二、〇〇〇円
(住込食事付) 〃9 三三、〇〇〇円
〃10 三二、〇〇〇円
休業期間 42・11・20~43・12・21(一三か月分)
原告の平均収入は、住居費、食費分を加算する必要があり、昭和四三年度総理府統計局編、日本統計年鑑(四四八頁)勤労世帯平均消費支出によると、一か月住居費五、八〇〇円、食料費平均世帯数四・〇七人で一八、八五〇円であるから、
(一八、八五〇÷四・〇七)+五、八〇〇=一〇、四三一円を前記月収平均三二、三三三円に加えると、四二、七六四円となる。
従つて、休業算は
四二、七六四円×一三=五五五、九三二円
3 将来損 一、九三四、七四六円
原告は現在五六才で、少くとも就労可能年数八年であるところ、前記受傷のためと、特に技能もないため、実際上再就職できないが、健康体に比してその労働能力の五〇%を喪失したものというべく、これにより将来損を年毎ホフマン式により中間利息を控除して算出する。
(算式)
四二、七六四円×一二×〇・五×六・五八八
(計算上、一、六九〇、三七五円)
4 慰謝料 一五〇万円
原告の妻子は韓国に強制退去を執行されて、身寄りなく不幸な身であるが、前記受傷による苦痛、就職できないために、慈善施設自彊館に入り生活保護をうけている状況にある。しかも原告からの送金をたよりとしていた韓国における家族のことをも考え合せると、原告の精神的苦痛は甚大である。
5 弁護士費用 三〇万円
(四) 損益相殺
原告は被告富治から一四万円を受領したので、これを前記損害額から控除する。
(五) よつて原告は被告らに対し第一、一記載のとおりの金員と民法所定の遅延損害金の支払を求める。
二、被告富治、同重治の答弁
(一) 請求原因に対する認否
本件事故の発生は認める。ただし現在のメニエール症候群等は不知。
帰責事由1は否認。
同2は被告重治が事故車の保有車であることは認める。
損害中、原告が42・11・20~43・5・10の期間新大阪病院に入院していたことのみ認め、その他すべて争う。
(二) 過失相殺
本件事故当時、現場付近は激しい雨が降り、霧が立ちこめた様な状態で道路の視界は大層悪かつた。被告富治は東から西へ向け先行するタクシーに続き時速約五〇キロメートルで進行中、先行車が急に右折したため、軽くブレーキをふみ左へハンドルを切つた。そのとき原告は飲酒酩酊していて、傘もささず黒つぽい服装で横断歩道でもない道路中央部分に佇立していて、被告富治が原告を認めて急ブレーキをかけたが間にあわず衝突した。先行車が急に右転把したのは、佇立せる原告を発見したからで、それも五・二メートルの至近距離であり、これに続いていた被告富治には原告の姿を一層発見し難い状態にあつた。このほか原告の横断方法にも不注意があり、これらを総合すれば原右の過失はきわめて大きい。
(三) 弁済
被告重治は原告に対し損害内金として一六万円を支払い、その他治療費も支払ずみである。
(四) 損害について反論
1 原告主張のメニエール症候群兼左座骨神経痛は原告の年令や従前からのアルコール中毒的傾向、生活態度からも発生の余地があり、本件事故とは因果関係はない。
2 原告は事故の約三か月前から福山製作所に勤務するようになつたもので、勤務中も欠勤多く、勤務態度は甚だ不良であつた。しかも福山製作所に勤務するまでの居所も不明である。原告が新大阪病院を退院した昭和四三年五月一〇日から、被告重治は居所もない原告を自己の部屋に同居させ、月約三万円を与え、適当な職に就くよう期待していた。しかるに原告は飲酒にふけり、あるいは何日も行先を告げずに帰らないことが多かつた。従つて原告の休業損、将来損の請求は不当である。
三、被告吉岡の答弁
(一) 本件事故の発生は原告の受傷を不知のほか認める。
帰責事由は被告吉岡が事故車の保有者であることは否認する。
損害はすべて争う。
(二) 事故車の登録名義が被告吉岡となつていることは認めるが、被告吉岡は単なる名義貸にすぎない。すなわち被告吉岡は被告重治と平素から懇意にしている関係で、同人が訴外市川行雄から事故車を購入するのに、車庫証明が必要で便宜上名義を貸してほしいと頼まれた。というのは、被告吉岡が、賃借している家屋の所有者野口考一が、車庫を所有しているので、同人と親しい被告吉岡ならば、車庫証明を貰いやすいからであつた。そのため被告吉岡名義でもつて事故車の登録、自賠責保険契約もなされた。被告吉岡は事故車を自己のために運行したこともなく、また事故車の保有者である被告重治の事業とは何らの関係もない。
(三) かりに被告吉岡に責任があるとしても、被告富治らの過失相殺の主張を採用する。
四、原告
原告が被告重治から金一六万円を受領したことは認める。
第三、証拠〔略〕
理由
一、本件事故の発生は原告の受傷を除き当事者間に争いがない。受傷につき、被告富治、同重治は原告が左脛骨踝骨、左腓骨骨折、頭部外傷Ⅰ型の傷害をうけたことを自認しており、〔証拠略〕によると、原告が本件事故により右の傷害をうけたことが認められる。
ところで〔証拠略〕によると、昭和四三年一一月ごろから原告がメニエール症候群、左座骨神経痛で診療をうけているが、これが本件事故と直接因果関係のある症状であることを認めるうる証拠がない。
(ちなみにメニエール症候群は耳鳴り、難聴、目まいなどの症状であり、内耳の自律神経の異常等の種々の原因があり、外傷により直接、間接に生ずるものか立証を要する。また座骨神経痛については外傷性圧迫から生ずることはよく知られているが、それ以外の原因からも生ずるので同様である。)
二、被告富治の責任
〔証拠略〕によると次の事実が認められる。
本件事故現場は幅員一九・五メートル、道路中央は軌道敷で、その両側に幅六メートルのアスフアルト舗装された部分があり、直線、平たんな前方への見とおしのきく道路である。車輌の制限時速は四〇キロメートルであり、事故当時は深夜で、雨も相当降つていて交通量は少なかつた。
被告富治は友人と清酒二合余を飲んで、その友人を自宅まで送るべく、事故車を運転し、その帰りに少し寄り道しようとして事故現場へさしかかつた。そのとき事故車を東から西へ時速約五〇キロメートルで道路中央左寄りを進行させ、ワイパーを作動し、ライトを下向きにして、先行するタクシー車との車間距離を約六・七メートル 保持していた。そのうち右タクシー車が急に右転把して進行したので、ブレーキペダルに軽く足をのせて前進したところ、進路前方約五・二メートルの至近距離に原告が佇立しているのを発見し、急ブレーキをかけたが及ばず、原告と衝突した。そして事故車は原告をボンネツト上にすくい上げ、衝突地点から約一五メートル前方路上に転倒させ、事故車はさらに約六メートル前進して停止した。衝突の際の衝撃により事故車のフロントガラスが破損し、ボンネツト等に凹痕が生じた。一方原告は、事故当日午後九時ごろから大阪市内の阿倍野へ出てビール二、三本、酒二合を飲んで、酔つて帰途現場道路を横断しはじめ、車が進行してきたので佇立していた。そのとき傘を持たず登山帽をかぶり、鼠色のレインコートを着用し、事故に遭遇してからは、びつこを引きながら立ち上り、一旦警察署へ立ち寄つてからタクシー車で自宅に戻つた。
前掲証拠中右認定に反する点は信用できず、他に右認定を動かしうる証拠はない。右事実によると、被告富治が事故車を制限速度を超える速度で雨の中を走り、しかも先行車との車間距離が短く、飲酒していたこともあつて、先行車の動静により機敏に反応できず、原告の姿を発見したのも至近距離であり、前方不注意、安全運転義務に反する過失があるものといわねばならない。従つて被告富治は民法七〇九条により、本件事故から生じた原告の後記損害を賠償すべき責任がある。
三、被告重治の責任
被告重治は事故車の保有車であることを自認し、〔証拠略〕によると、いつもは自ら事故車を運転していて、実兄の被告富治もたまに事故車を使用するのは黙認してきたことが認められ、被告重治が事故車の運行供用者として自賠法三条により本件事故から生じた原告の後記損害を賠償する責任がある。
四、被告吉岡の責任について
被告吉岡は事故車の登録名義が自己になつていることを認め、これは単なる名義上にすぎないというのであるが、〔証拠略〕によると、
(1) 被告重治は、昭和四二年六月ごろ自動車修理業の斎藤自動車を通じて日産自動車の販売会社社員である市川行雄と事故車の購入について話し合い、車庫証明、代金の支払方法について説明をうけた。
(2) 車庫証明は被告重治名義では取れず、そのため被告重治が、被告吉岡夫婦に依頼して、被告吉岡が借りている家の地主が空地を所有しているので、そこを利用して車庫証明を取ることになり、市川もこれを了解して、売買契約は被告吉岡が買主、登録や、月賦代金の支払についても被告吉岡名義でされることになつた。そしてその場で登録等諸費用三五、〇〇〇円は被告重治が出し、事故車の引渡をうけた際頭金一〇万円も被告重治が直接市川に支払い、その後の月賦代金はすべて被告重治が被告吉岡を通じて払つた。
(3) 被告重治は被告吉岡の近所に住んでいて、自動車修理業者の所で働いていた際、被告吉岡の妻が修理を頼みにきた関係で知合となり、事故車購入当時にはそれ以上の関係はなかつた。
(4) 被告吉岡は塗装工で自分の自動車、単車を所有し、被告重治から自動車を借りる必要もなく、同乗させてもらつたこともなかつた。
以上の事実が認められ、右事実によると、被告吉岡は被告重治が事故車を購入するについて、車庫証明の関係で名義を貸したにすぎず、事故車を運行していたのは被告重治で、事故車のガソリン代も被告吉岡が負担したことがあるとは右事実から到底推認できず、同被告が運行支配を有していたとは認められない。従つて被告吉岡が事故車の運行供用者として責任を問うことはできず、本件事故から生じた原告の損害を賠償すべき責任はない。
五、損害
(治療経過、症状)
原告は大阪市生野区巽西足代町、新大阪病院において左記のとおり治療をうけた
42・11・20~43・5・9 入院(被告富治、同重治自認)
43・5・10~43・8・10 通院
その間足折部手術や固定を行い、また頭部外傷による目まいがあり、それに受傷後の精神神経症状があるため、神経科でも治療をうけていた。足関節部に腫脹がありこれは退院後も疼痛を訴えていた。神経症状がありその訴えはさだかでないも最終治療時でもまだ症状固定の状態ではなく、その後大阪自彊館診療所において治療をうけたことがあり足関節については昭和四三年一〇月ごろ症状固定した。〔証拠略〕
1 治療費残 認めるにたりる証拠はない。
2 休業損 五一一、二〇〇円
原告は事故当時五五才、韓国籍で事故前大阪市生野区巽大池町、福山製作所の工員として食事付住込で勤務し、事故前三か月間の平均月収は三二、三三三円であり、休業期間は事故当日の昭和四二年一一月二〇日から通院最終の昭和四三年八月一〇日までとその後も前記のとおり症状が残つていたのでこれを考慮して少くとも事故から一年後の同年一一月ごろまでは休業を余儀なくされていたものと認められる。(〔証拠略〕)
ところで住込、食事付の場合には、これがないときの給料がいくらかと立証する必要がある。しかし本件についてはこれがないので推認によらざるをえないが、生活費の実質から算出するのは適当でなく、むしろ平均的賃金に照して定めるべきである。昭和四三年賃金センサス第一巻八三頁の全産業男子労働者、一〇~九九人の企業規模、小卒新中卒五〇~五九才の所定内給与額は月額四二、六〇〇円であるから、食事付等がなければ、この程度の収入となりえたものと認め算出する。
(四二、六〇〇×一三=五一一、二〇〇円)
3 将来損 認めない。
前記のとおり本件事故による原告の症状は新大阪病院への通院終了後も続いていたことは認められるも、メニエール症候群等は考慮外であり、また足関節の痛みなどがどの程度の後遺症といえるのか明らかな証拠がなく、現に稼働していないこと(〔証拠略〕)は、この請求を認めうる根拠になりえない。
4 慰謝料 九五万円
前記受傷、治療経過、足関節の疼痛持続、精神々経症状があること、その他原告が身寄りなく妻子を韓国に残し、加えて本件事故のため収入がなく生活保護をうけて施設に入居していること(〔証拠略〕)過失相殺事情を除く諸般の事情を参斟して、右金額が相当である。
六、過失相殺
前記二認定事実によると、原告が事故現場において、かなり酔つていて、左右の安全を確認し、車輌に対する注意をつくして道路を歩行しはじめたとはいえず、原告にも不注意による道路横断という過失があつたので、この点被告富治の過失と対比し、損害額を減ずべき割合は療養関係費を除き三五%とするのが相当である。
そうすると、前記損害額は
一、四六一、二〇〇円×〇・六五=九四九、七八〇円
七、弁済
被告重治が原告に対し金一六万円を弁済したことは原告が自認しているので、これを右損害額から控除すると、七八九、七八〇円となる。
八、弁護士費用 一〇万円
(弁論の全趣旨、認容額、事案の難易等)
九、結論
被告富治、同重治は各自原告に対して金八八九、七八〇円および内金七八九、七八〇円に対する被告富治に対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和四四年七月一四日から、内金一〇万円(弁護士費用)に対する本判決言渡日から、右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。原告の本訴請求は右限度において正当として認容し、右被告らに対するその余の請求および被告吉岡に対する請求はすべて失当として棄却する。訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用する。
(裁判官 藤本清)